国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
この条文の過去問 4肢
結論:本肢は妥当でない。本問は「妥当でないもの」を選ぶ問題なので、本肢が正解である。
本肢は、教育内容の決定権がもっぱら国家(法律・教育行政機関)にあるとする、いわゆる「国家の教育権説」の主張をそのまま述べたものである。これに対し、旭川学力テスト事件(最大判昭和51年5月21日)は、国家の教育権説と国民の教育権説のいずれも極端かつ一方的であって、そのいずれをも全面的に採用することはできないと判示した。すなわち、国も子どもの成長に対する社会公共の利益と関心に応えるため、必要かつ相当と認められる範囲において教育内容を決定する権能を有する一方、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じて行われる本質や、親・教師の一定の自由・裁量も尊重されるべきとして、両説を排し折衷的に調整した。
したがって、「公教育の内容・方法は専ら法律により定められ」「教育行政機関も広く決定権限を有する」と述べる本肢は、国の権能を絶対化しすぎており、両極端の説をいずれも採らなかった判例の立場に反するため妥当でない。
ひっかけポイントは、本肢が一見もっともらしい文章で「法律による具体化」という民主的正統性を語る点である。判例は国家の教育権を完全に否定したわけではなく国に一定の決定権能を認めたこと(国を全否定すれば国民の教育権説に偏する)と、「専ら」「広く」と権能を無限定に拡張する本肢の表現とを混同しないこと。判例はあくまで国の介入には子どもの学習権の保障という観点からの限界があるとした点が核心である。
結論:本肢は妥当である。本問は「妥当でないもの」を選ぶ問題なので、妥当な本肢は正解肢ではない。
旭川学力テスト事件(最大判昭和51年5月21日)は、憲法26条の教育を受ける権利の規定の背後には、国民各自が一個の人間として、また一市民として成長・発達し、自己の人格を完成・実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在している、と判示した。本肢はこの判旨をほぼそのまま引用したものであり妥当である。
この「子どもの学習権」は、教育を受ける権利を子どもの側から基礎づける重要概念であり、肢3の国家の教育権説を退ける根拠の一つともなっている。憲法26条1項の「教育を受ける権利」が単なる国への給付請求権にとどまらず、人格形成・成長発達権としての性質をもつことを示す論点として頻出である。なお「大人一般に対して要求する権利」とある点を、国のみに対する権利と狭く読み替えないよう注意したい。
結論:この肢は「誤り」。
前段は正しい記述です。衆議院議員の任期は4年ですが、衆議院解散の場合には期間満了前に終了します(憲法45条)。したがって衆議院議員総選挙が行われるのは、任期満了の場合と解散の場合の二つです。任期満了による総選挙は議員の任期が終わる日の前30日以内に行われ(公職選挙法31条1項)、解散による総選挙は解散の日から40日以内に行われます(憲法54条1項)。
誤りは後段です。実際の運用では、任期満了による総選挙こそが例外であって、解散による総選挙が圧倒的多数を占めています。日本国憲法の下で任期満了により行われた総選挙は、昭和51年12月5日に行われた第34回衆議院議員総選挙のただ1回のみです。この選挙は、いわゆるロッキード事件をめぐる政治混乱の中で解散の機を逸した結果として実現したもので、極めて例外的な事例として記憶されています。それ以外の総選挙はすべて解散に伴うものであり、この肢は事実関係を正反対に述べています。
理由づけとしては、内閣が解散権を実質的に握っている以上、与党にとって有利な時期を選んで解散するのが政治的に合理的であり、任期満了まで待つ動機が乏しいという点が挙げられます。解散権が「首相の伝家の宝刀」と呼ばれるゆえんです。
ひっかけポイントと関連知識。第一に、参議院には解散がなく(憲法46条により3年ごとに半数改選)、参議院議員通常選挙は必ず任期満了によって行われます。衆議院の総選挙と参議院の通常選挙の違いを混同しないでください。第二に、解散後の手続として、解散の日から40日以内に総選挙、その選挙の日から30日以内に特別会(特別国会)を召集する、という「40日・30日」の数字は頻出です(憲法54条1項)。第三に、参議院は衆議院の解散中は同時に閉会となりますが、内閣は国に緊急の必要があるときは参議院の緊急集会を求めることができ、そこで採られた措置は次の国会開会後10日以内に衆議院の同意がなければ将来に向かって効力を失います(同条2項・3項)。
結論:この肢は「誤り」。
問われているのは苫米地事件(最大判昭和35年6月8日民集14巻7号1206頁)です。この判決は、いわゆる抜き打ち解散により議員の地位を失った元衆議院議員が、憲法7条のみによる解散は無効だとして歳費の支払いを求めた事件で、最高裁は「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治的判断に委ねられている」と述べ、衆議院の解散を統治行為として司法審査の対象から外しました。
誤りは「一見極めて明白に違憲無効と認められる場合を除き」という留保を付している点です。苫米地判決はこのような限定を一切設けておらず、解散の効力については端的に司法審査が及ばないとしました(純粋型の統治行為論)。
「一見極めて明白に違憲無効」という基準を用いたのは、砂川事件(最大判昭和34年12月16日)です。同判決は、日米安全保障条約のような高度の政治性を有する条約について、一見極めて明白に違憲無効と認められない限りは司法審査の範囲外にあるとし、内閣および国会の高度の政治的・裁量的判断と、終局的には主権を有する国民の政治的批判に委ねられるとしました。この二つの判決の枠組みを入れ替えるのは、本試験で繰り返し出題される典型的なひっかけです。「解散=苫米地=留保なし」「安保条約=砂川=一見極めて明白」とセットで覚えてください。
関連知識として、苫米地事件では、司法権の限界を論じる前提として、原審が7条説の当否に踏み込んだ点も議論されましたが、最高裁は解散の効力そのものを判断しませんでした。したがって、7条のみを根拠とする解散が合憲かどうかについて最高裁の判断は示されておらず、実務上は7条説に基づく解散が定着している、と整理するのが正確です。