地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
この条文の過去問 2肢
結論:この肢は「誤り」。ここでいう「誤り」とは、記述内容それ自体が間違っているという意味ではなく、設問が求めている「他の肢とは異なる『実質的意味の憲法』の理解」には当たらない、という意味です。
本肢は、日本の憲法の歴史を叙述する出発点を、大日本帝国憲法(明治憲法)の制定につながる西洋諸国に対する「開国」に置くべきだと述べています。ここで注目すべきは、日本の憲法史のスタートラインを幕末の開国以降に限定している点です。もし固有の意味の憲法、すなわち国家の統治の基本を定めた法という広い意味で憲法をとらえるならば、律令制も、鎌倉幕府の御成敗式目も、江戸幕府の武家諸法度も、いずれも統治の基本を定めたものとして日本の「憲法」の歴史に含めるべきことになります。それにもかかわらず、本肢があえて開国を出発点とするのは、西洋由来の近代立憲主義を受け入れて憲法典を制定した時点から憲法史が始まると考えているからにほかなりません。
つまり本肢は、立憲的意味(近代的意味)の憲法を念頭に置いた叙述です。立憲的意味の憲法とは、1789年フランス人権宣言16条が示すとおり、権利の保障と権力の分立を内容とし、専断的権力を制限して国民の自由を守ることを目的とする国家の基礎法をいい、近代市民革命以降の歴史的な産物です。日本がこの憲法観念を受容したのが開国以降であることは事実であり、本肢の理解は他の肢1・肢4・肢5と同じ系統に属します。
ひっかけポイントとして、本肢は「大日本帝国憲法」という語が出てくるため、明治憲法は外見的立憲主義にすぎず真の立憲主義ではない、といった知識と結びつけて別枠に入れたくなるかもしれません。しかし本問が問うているのは、明治憲法の内容の評価ではなく、その肢の書き手が憲法という語をどのような意味で使っているか、という点です。明治憲法も、天皇大権を残しつつ臣民の権利を法律の留保付きで定め、三権分立の形式を採用した以上、立憲的意味の憲法の系譜に位置づけられます。
関連知識として、明治憲法は君主が制定した欽定憲法であるのに対し、日本国憲法は前文と1条において国民主権を採用した民定憲法である点、また明治憲法の改正手続(73条)を経て日本国憲法が成立したという法形式上の経緯と、その理論的説明として八月革命説が唱えられた点も、憲法史の基本知識として押さえておきましょう。
結論:この肢は「誤り」。ここでいう「誤り」とは、記述内容それ自体が間違っているという意味ではなく、設問が求めている「他の肢とは異なる『実質的意味の憲法』の理解」には当たらない、という意味です。
本肢は、フランス第三共和制において、体制の基本を定める法律を「憲法的」と形容して憲法的法律と呼んでいた、という歴史的事実を述べています。第三共和制は、1875年に制定された複数の憲法的法律(元老院の組織に関する法律、公権力の組織に関する法律、公権力の関係に関する法律)によって成り立っており、日本国憲法のような単一の憲法典をもっていませんでした。それにもかかわらず、これらの法律が「憲法的」と呼ばれたのは、その内容が国家の基本構造と権力の組織を定めるものだったからです。
ここで重要なのは、本肢が冒頭で「近代立憲主義が定着した」と述べている点です。すなわち本肢の書き手は、権利の保障と権力の分立を内容とする近代立憲主義の体制を前提として、その体制の基本を定める法を憲法的と呼んでいます。これは立憲的意味(近代的意味)の憲法の理解です。1789年フランス人権宣言16条が「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」と述べた系譜に、そのまま連なる叙述だといえます。したがって本肢は、肢1・肢3・肢5と同じ側に属し、「他とは異なっているもの」には当たりません。
ひっかけポイントは、「憲法的法律」という耳慣れない言葉を見て、形式的意味の憲法(憲法典)が存在しない例だから特別だと考えてしまうことです。確かに第三共和制は、憲法典という形式を欠きながら実質的意味の憲法をもっていた典型例として引かれます。しかし本問が問うているのは、形式的意味か実質的意味かではなく、実質的意味の憲法の中でも固有の意味か立憲的意味か、という一段深い区別です。この点を取り違えると誤答します。
関連知識として、成文憲法典をもたない国の代表例はイギリスであり、マグナ・カルタ、権利請願、権利章典、議会法などの個別の法律や慣習法(憲法習律)が実質的意味の憲法を構成しています。逆に、憲法典があるからといって立憲的意味の憲法があるとは限らないという指摘(外見的立憲主義)も、憲法概念論の重要な応用論点です。